【徹底解説】映画『アイズワイドシャット』キューブリック最後の傑作

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映画『アイスワイドシャット』1999年製作。監督:スタンリー・キューブリック

『時計仕掛けのオレンジ』『シャイニング』等で有名。日本にもファンが多い監督だが、今回語っていく『アイズワイドシャット』については監督作品の中では賛否両論、評価が分かれる印象だ。

というのも

  • 女性の裸体あり、性交シーンあり(R-18+指定)
  • 公開当時主演の2人(トム・クルーズとニコール・キッドマン)がリアルで夫婦であった
  • 結果的に監督の遺作になってしまった

とあって話題性を呼んだものの、そちらのインパクトが強すぎて映画の内容について深く議論されにくかった。しかし、この映画は他傑作と比べて遜色なく、むしろ「考えさせられる要素がたくさんあり文学的考察や人の心理について考えることが好きな人にはたまらない映画」だと感じているため、 本記事では、原作との相違点や夫婦の会話を中心に、メインテーマを考察していくことで、映画の魅力を深く掘り下げていくことを目的とする。

目次

『アイズワイドシャット』あらすじ なにを描いている映画?

あらすじ

主人公はニューヨークで医師をしているビル・ハーフォード。
円満だが慣れ親しみすぎて異性としての緊張感のない関係の妻アリスと、娘のヘレナと暮らしている。
ある日、患者の1人であり富豪のジーグラーが開いた盛大なパーティーに招かれる。
そのパーティーでの出来事をきっかけに、信頼していた妻からある日出会った海軍士官への鮮烈な欲望を告白される。
ショックを受けるビル。
この妻の「心の不貞」が、ビルを性的冒険へと導いていく…

文字をあまり読みたくない人のために以下に4コマで映画を超要約してみました

映画『アイズワイドシャット』要約4コマ

夫婦の会話から考えるメインテーマ

上記4コマで描いているように、この映画のメインテーマはほとんど「夫婦の会話」に集約されているといっていいだろう。
具体的には、

  • パーティー後の2人の会話
  • ビルが「一夜の冒険」について告白した後の夫婦の会話

の主な2つだ。
なぜそう言えるのか?という点を以下に引用を交えながら論じていきたい。

パーティー後の2人の会話

まずジーグラーに夫婦が呼ばれたパーティーの後の会話をさらっていこう。(4コマでいうと1コマ、2コマに該当する。)
ビルがジーグラーのパーティーで2人のモデル女性と視界から見えなくなったことを気にかけていたアリスは、ビルに問い詰める。
(以下字幕版を参考にしているが一言一句そのまま引用せず、重要でない枝葉の部分は省略している。だが文脈は同じだ)

「あなた ひょっとしてあの子たちとーファックした?」

(中略)

「ということはつまりあなたも モデルたちしたかったのね」

「すべて例外はある 僕が例外なのはー君を愛してるからだ」

「ということはつまりあなたがーモデルたちとファックしないのはー私のためだってこと?本当はしたいんだけど!」

「なんで素直に答えないの?」「あなたの正体を確かめたいのよ」

「僕の正体?」

@1999 Warner Bros. All Rights Reserved.

この会話で、ビルは自分の欲望を否定していることに注目してほしい。
それに対してアリスは「あなたの正体を確かめたい」としてビルの「異性への性的な欲望」に真正面から切り込んでいる。ビルが「他の女とファックしたくならなかった」のは、アリスを「愛している」からであるという主張が偽りーつまり、自分の欲望に対してビルが「見ないふり」をしているだけーであると、アリスは見抜いている。

「あなた妬いたりする人?」

「いいや しない」

「どうして妬かないの?」

「知らないよ きっと君が妻だからだ 僕の娘の母親だし裏切るはずがないからだ」

@1999 Warner Bros. All Rights Reserved.

この会話のあと、ビルはアリスのある欲望について告白される。

「昨夏のケープコッド 覚えてる?」

「夜食堂に若い海軍士官がいたでしょ?」

「わたしあの朝ロビーで彼を見たの

(中略)

彼は通り過ぎる時 わたしをチラッと見たわ

ただそれだけ

でもわたしはなぜかー動けなかった」

「その日の午後 わたしはあなたとセックスした

将来のプランを語りヘレナの話をした

でもその間ずっとあの人のことがー心に残っていた」

「もしあの人が私を欲したら それがたったー1夜限りでもーすべて捨てられると思った あなたも ヘレナも 私の将来もすべて 何もかも」

「でも不思議なのは その時1番ーあなたが愛しかった

そしてその時わたしはーあなたを愛しながら(tender)胸を痛めていた(sad)」

@1999 Warner Bros. All Rights Reserved.

この、「裏切るはずがない」と信頼していた妻からの「ある海軍士官への強い欲望」と、「あなたを愛しながら胸を痛めていた」という慈悲・慈愛とも取れる感情の吐露を聞かされ、ビルは大きなショックを受ける。
そして彼は、ある患者の訃報をきっかけに、自らの欲望に直視せざるを得ない1夜の冒険に旅立っていくことになるのだ。

このビルの冒険については後述するとして、「冒険」の内容についてビルが告白した後の夫婦の会話も見ていこう

ビルが「一夜の冒険」について告白した後の夫婦の会話

「アリス 僕たちどうする?」

「どうって分からない

多分きっとわたしたちー感謝すべきなのよ

なんとか無事にやり過ごすことができた

危険な冒険をーそれが事実であれ夢であれよ」

(中略)

「わたしに分かるのは 1夜のことなんてーまして生涯のどんなことだってー真実かどうか…」

「夢もまたすべてーただの夢ではない」

「でも大切なのはー今わたしたちが起きている

そしてこれからもー目覚めていたい」

(中略)

「でもーあなたを愛している

だからわたしたち大事なことをすぐにしなきゃダメ」

「何を?」

「ファック」

@1999 Warner Bros. All Rights Reserved.

さて、ここで繰り返しでてくる言葉「夢か真実か」はどういった意味を持つのだろうか?
「事実であれ夢であれ」は、ビルが告白した「冒険の内容が真実であるか」というメタ的な視点からの解釈と、「アリスがみた夢について言及している」という解釈、またそのどちらも指しているという解釈が考えられる。

以下それぞれの場合の解釈について述べていこう。

1.ビルの「1夜の冒険」が真実であったか否か

1夜の冒険において、ビルはさまざまな(魅力的な)女性に誘惑される。そして結局、ビルはいずれの誘惑にも(結果的に)乗ることができなかったわけだが…果たして「本当に」そうだろうか?これは観客側から見た「真実」でしかなかったのだとしたら…?観客が見せられているのが、ある一部分からビルの「夢」だったとしたら、どうだろう

というのも全て事実であったら解明できない謎が残るのである。(詳細については別途章を設けて考察する)

あえて、この映画において「ビルが体験した1夜の出来事」は、観客から見てどこからが「真実であるか夢であるか」判然としない作りになっている。1.は、そのことをメタ的に表現している解釈である。

2.アリスが見た夢について言及しているという解釈

アリスは夢で、例の「海軍士官とセックスした」と告白している。「危険な冒険」は、「夫婦それぞれが他の異性に惹かれて自分たちの生活を脅かそうとしていた」ことを意味しており、

  • 実際行動に起こしたビル(事実)
  • 空想や夢ですませていたアリス(夢)

欲望を起こした時点で大した差はない(「夢もまたすべてただの夢ではない」)。
問題は、それを直視しその痛みを引き受けながら夫婦生活を続けていくことにある(「でも大切なのはー今わたしたち起きている そしてこれからも目覚めていたい」)、というメッセージが読み取ることができる

3.そのどちらとも取れる解釈

3番めは、1.2.の解釈どちらも含まれるという解釈である。個人的には、解釈を「どれか1つが正しい」と決めつけるのはこの映画の魅力や構造とは乖離していると考えるので、1と2、そのどちらも意味として含まれる3番目の解釈を個人的には推したい。
いずれにせよ、この夫婦は性生活をめぐる「危険な冒険」をひとまず乗り越えたのだから、以前とまったく同じとはいかないにせよ、夫婦生活を続けていくのではないだろうか。

「大事なこと」ー「Fuck」したりしなかったりしながら。

メインテーマまとめ

このように、この映画における夫婦は「ファック」が原因で喧嘩をし、「ファック」で締めくくられている。
要するに、「夫婦関係において、他の異性へ欲望されることを直視し(認め)、それでも夫婦生活を続けていく」物語と考えることができる。

それはこの映画のタイトル『Eyes Wide Shut』とも関係している

『eyes wide shut』の意味

Eyes Wide Openは「目を大きく開ける」という、現実を直視することや真実を見つめることを意味する言葉を、Eyes Wide Shutとして逆説的な言葉に置き換えることで、現実を見ようとする一方で見ないふりをする、もしくは見えないものを見ているふりをするという矛盾を象徴していると考えられる。
事実、会話の引用であるように、アリスは自身の欲望について直視し、またビルが当然あるだろう欲望についても明らかにしたい(open)のに対して、ビルは欲望や嫉妬そのものを否定し、見ないふりをしていた(shut)

つまりここでは、夫婦間において、パートナーシップの真実である

  • 他の異性への欲望から目を背けるビル
  • 他の異性へ(自分も、そして夫も)欲望することがあると直視するアリス

対比を表現していると考えることができる

それと同時に、
上記のような夫婦間のパートナーシップの問題に直視せず、順調にこれまで通り異性として、夫婦として、生活できると考えているビルをも表していると言えるだろう。

映画のメインビジュアルを見て欲しい。アリスだけが鏡越しに今まさに愛し合おうとする2人の姿をしかと見つめているのに対して、ビルは見ていない。まさに上記のような夫婦の状況を『Eyes Wide Shut』は表現しているのだ。

映画『アイズワイドシャット』メインビジュアル

(画像はリンクより引用)

ビルの「危険な冒険」ーtrue or false?-

まずは時系列の整理から

この章では、原作との相違点を通じて、ビルの「冒険」について考えられることを考察していく。
この映画をご覧になって、「で、どれがホントなの?」と疑問に思った方はこの章から読んでほしい。

まず、ビルの冒険の始まりから時系列で整理していこう。

アリスから欲望を告白される(ー1夜の冒険の始まりー)

亡くなった患者の家にいく。その娘から愛を告白され、キスされる

若い娼婦に声をかけられ部屋までついてく。買うつもりでキスするが妻から電話がくる。

旧友の「ニック・ナイチンゲール」が演奏する「ソナタ・カフェ」へいく

貸衣装屋で衣装を借りる

仮面とマントで参加する秘密のパーティーに侵入する。

素性を暴かれそうになるが、スタイル抜群の女が身を挺してかばう

明け方に帰ってきて妻が見ていた夢の内容について聞く。

(翌日以降)

  1. ニックがホテル不穏な目撃証言と共に姿を消す
  2. 貸衣装屋に衣装を返しにいくが、マスクを紛失していることに気づく
  3. パーティー会場だった場所へ赴き、「警告状」を渡される
  4. 娼婦の元へ手土産をもって訪れるが、不在。彼女がエイズ陽性だと知る。
  5. 自分を尾けているらしき男を目撃、逃げている最中にジーグラーと関係のあったモデルの死を新聞で知る
  6. モデルが昨晩自分をかばった女性ではと考え遺体を確認しにいく
  7. ジーグラーから昨夜の秘密のパーティーについてのネタバラシをされる
  8. 妻の眠る枕元に失くしたはずのマスクを発見
  9. 妻に昨夜の「冒険」について告白する

ざっとこのような流れだったと思う。
要は、ビルが1夜に体験したことは、「妻の浮気心の腹いせに自分を誘惑する魅力的な女たちと関係をもってやろう」とビルが試みているだけなのだが、なにが真実でそうでないのか、観賞者に委ねる描き方をしている。

特に、秘密のパーティーに関連する出来事が不可解で、ジーグラーの「ネタバラシ」と共に、混乱を招く。
ジーグラーは、「あそこで起こったことはー脅しも女の忠告も身代わりも全て嘘」「君を脅すため」「屋敷のことも君が見たことも黙らせるため」にやってことで、女の死は偶然、ニックはビルを引き入れた罰として焼きをいれただけ、と言及している。

だが表層的には、女の死の真相がどうであれ、「ビルが秘密のパーティーに参加した」ということは事実のように見える。
だが、本当にそうだろうか?

考えうる第3のシナリオ

私が考えたシナリオは、大きく分けると以下だ。

  1. ビルは秘密のパーティーに行った。見てはいけないものを見てしまったため、本来ならばビルには死が待っていたが、女の犠牲によって助かった。ニックもビルを招き入れた罰として拉致され殺された。
  2. ビルは秘密のパーティーに行った。だが、「女の犠牲や警告」も部外者に見たものを口外させないための狂言ーつまり偽りで、女の死もジーグラーが言うように偶然。ニックはその土地から追い出されたが妻子と無事でいる。
  3. ビルは秘密のパーティーに行かなかった。ソナタ・カフェのシークエンス以降は娼婦のベッドで見た夢で、ビルは後から娼婦が「AIDS」だと知り自らの行動の結果、妻子にも危険が及んだことを突きつけられ、不貞したことを妻に白状する。

特に3の説は、なぜそう考えるのか疑問に思う方も多いだろう。
たしかに、翌朝以降、ビルがとった行動について「観賞者が見たもの=真実」なのならば、パーティーに行ったことそれ自体は事実なのであって、3の説はありえないように思える。

しかし、1と2のシナリオも大枠で見ると、「不貞を試みて自分のみならず妻子の身を危険にさらした」という点は変わらないものであり、「ビルの浮気とその結果」をより映画的に、デンジャラスに/魅力的に見せているだけだと言えなくもない。

また、私が3の説を考えた根拠としてはまだ他にある。
それは、原作となった小説と映画との相違点・相似点だ。
原作はあくまで原作であり、それ自体で映画の解釈を語るべきではないというのは私の立場だ。
しかし、原作が映画を作るルーツになった以上、相違点や相似点を通して、監督の意図を読み解く助けにはなると大いに思っている

原作小説『夢奇譚』との相違点・相似点

原作小説について

原作となった小説はアルトゥル・シュニッツラー の『夢奇譚(Dream Story)』だ。
1920年代のウィーンを舞台にしており、映画と話の大まかな骨格は同じ。
映画はそれを1999年公開当時のニューヨークに置き換えている。
そのため主要人物の名前も現代アメリカ的に変更されている。
だが、その中であえて原作のままの名前(姓)を冠されている人物がいる。

それが、ニック・ナイチンゲールだ。

まず、現代アメリカでは「ナイチンゲール」という姓は非常に稀だ。ほとんどいないと言っていい。それどころか原作小説のウィーンにおいても非常に珍しい(原作では「ナハティガル」表記)。
それならばなぜ、当時のアメリカで一般的である名前「ニック」とだけ呼ばせず、「ナイチンゲール」という、あえて一般的でない姓をわざわざ付しているのだろう?映画の舞台背景も、その他登場人物の名前も、公開当時のアメリカに合わせているのに、なぜ?

それは、原作と映画における「ナイチンゲール」の役割が関係している。

ニック・ナイチンゲールの役割

原作小説では、ニックにあたる人物は「ナハティガル(小夜啼鳥)」と呼ばれている。
「ナハティガル」とは、ナイチンゲールのドイツ語であり、どちらも同じ小夜啼鳥を指している。

小夜啼鳥は、神話や芸術作品においてしばしば登場する鳥で、「夜に美しい鳴き声を響かせる」という習性から、神秘的な存在/夜の闇に誘う異世界への使者として描かれることがある。
ex.)「ブラザーズ・グリム」
(The Brothers Grimm, 2005
ナイチンゲールが魔法や幻想の象徴として登場。ナイチンゲールの歌声が異界への扉を開く鍵となり、物語の展開に重要な役割を果たす。)

そして小説も映画も、このナイチンゲール(小夜啼鳥)の導きで主人公(フリドリン/ビル)が秘密のパーティーに潜入してしまう点で共通している。
つまり、あえて映画でも名前を「ナイチンゲール」とすることで、彼が原作小説と同じ役割ーつまり、「主人公を非現実的で神秘的な世界に導く存在」ーとして機能していることを、観客に明示している
また同時に、ソナタ・カフェで「ナイチンゲール」が登場するシークエンスから以降は夜の幻ー「ビルがみた夢」ーである可能性をも示唆しているのである。

それでは、仮に「ナイチンゲール」がビルを夢幻の世界に誘ったのなら、その直前のシーンはなんだったであろうか。そう、ビルが娼婦と一夜を過ごそうとしていたシーンである。
この時ビルは妻アリスからの電話で行為を中断し、お金だけ置いてその場を去った。その足でビルは「ナイチンゲール」の演奏するソナタ・カフェに向かう。つまりここからはビルの夢であり、現実は娼婦と枕を共にしたビルが見ている夢、と考えることができるのである。

シナリオ3の場合、ここからは簡単だ。

ソナタ・カフェのシーンからは全てビルの夢であるので、貸衣装屋の奇妙な態度も、秘密のパーティーでマスクをかぶっているビルの正体をなぜか見破っている女の謎も、解明する必要はない(夢であるので)。
現実(事実)としては、ビルは妻の告白に触発され普段「見ないふり」していた自分の欲望を自覚。自分が患者として救った美しいモデルへの欲望も夢という形で表れた。
欲望を完遂する形で娼婦と関係を持ったものの、その女はAIDSであった。
ビルの「危険な冒険」の代償はAIDSに感染する可能性であり、妻子との(表層的には)幸せで円満な家庭を壊す可能性でもある。
その代償の自覚は、妻の枕元に置かれた「マスク」という形で象徴的に表現され、ビルは泣き崩れる。
「全て話すよ 何もかも」ビルが実際アリスに話した内容は観客には明かされない。ただアリスが泣いた跡のある目元を晒すことでビルが告白した内容について想像する他ない。
アリスはビルの告白を聞いてなお、「自分たちに危険が迫っているかもしれない」などというそぶりもなく、ただ夫婦のこれからを話し合うのみだ(ラスト)。ここら辺のビルとアリスの態度はまさに、浮気を告白しそれでも妻子との生活を壊したくないと懺悔する夫の情けなさと、夫の不貞にショックを受けながらもこれからの生活に思いを馳せる妻以外の何者でもない。

シナリオ3が可能性として考えられることを、これでご理解いただけただろうか?
それでもシナリオ3がありうる根拠として薄いと考える方もいるだろう。

駄目押しで原作の一文を以下に引用しよう。

フリドリンはふたたび気づいた。ひょっとして死の病の細菌がすでに自分の中に入っているのではないか。

(中略)

実はこの瞬間、彼は家のベッドで寝ているということはありえないのかーそして、彼が経験したと信じていることは、すべて病床のうわごとにすぎないとしたら!?

(『シュニッツラー作品集 夢がたり』早川書房発行 1999年初版 P72より引用)

引用部の「死の病の細菌」とはジフテリアであり、医者である主人公がジフテリアの患者を診たから引用部のような発想をしているのであるが、当時のウィーンにおいてジフテリアとは深刻な公衆衛生問題であり、患者は感染を避けるため隔離され、正しく治療されなければ容赦無く死ぬ病であった。いわば映画はこの「ジフテリア」が、映画公開当時としてありうる「AIDS」に置き換えられているだけなのである。

  • 映画と小説のシナリオ構造がほとんど同じであること
  • 映画と原作小説で共通する「ナイチンゲール」の存在

を鑑みるに、「ビルが経験した1夜の出来事」が夢である可能性は、十分ありうるのではないだろうか。

秘密のパーティーへの「password」の違い

上記では原作との相似点を通してシナリオ3がありうることを述べてきたが、今度は原作との相違点についても述べていきたい。
前述の通り、原作小説と映画におけるシナリオの骨格はほとんど同じだ。
ただ、原作小説の方がより現実と夢が曖昧になっている。
それは、秘密のパーティーに対するジーグラーの「ネタバラシ」がないのもあるし、パーティーに参加するための合言葉が、夫婦それぞれが「別の異性に強く惹かれた地」である「デンマーク」であることも強く影響している。主人公を「夜の欲望の世界」に誘ったきっかけは、妻による「他の異性への欲望の告白」である点は映画原作とも共通しているのだが、原作ではその欲望の舞台となった場所「デンマーク」が秘密のパーティーでのpasswordであることによって、より「秘密のパーティー以後が主人公の夢/幻である」あるいは「現実の中に夢が侵食している」感を強めている。

対して映画では、ここでのpasswordは「Fidelio」に変更されている。
ここで唐突にでてくる関連性のない(ように感じられる)言葉について私なりに調べてみたのだが、この「Fidelio」はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベンのオペラ『Fidelio』からきている可能性が高い。

オペラの主人公レオノーレは、夫フロレスタンを不当に投獄した悪役から救うため、男装して「Fidelio」という偽名を使う。彼女の行動は、愛と忠誠心が試される厳しい状況に直面したときにどのようにふるまうのか、という問いを観るものに突きつける。見事その勇気でレオノーレは問いに返したのだが、同じく妻アリスへの愛と忠誠を試されたビルはどうだったであろうか。
この夜のビルは終始妻アリスとその欲望の相手の幻影に苦しめられてきた。
その幻影に突き動かされるように、他の異性へ挑もうとするビルは、ついに「秘密のパーティー」に行きつき、彼自身の内面の欲望と向き合うことになる。
いわばこのパーティーが、アリスとビルの夫婦における「愛の試練」のクライマックスであり、その試練へのpasswordを「Fidelio」にすることで、その試練にビルがどう向き合うのか?を象徴的に描いているのかもしれない。(ビルはレオノーレと違い欲望に負けてしまっているが)
他に「Fidelio」に変更した理由として考えられるのは、単純に響きがいい(秘密めいている)からであろうか。

いずれにせよ、このpasswordを「デンマーク」から「Fedelio」に変更したことで、原作よりその夜の出来事の夢幻感を低減させつつも、より神秘的な雰囲気を醸しだす演出に成功し、また「結婚において、2人の関係性を試す大きな試練に直面した時に、どのようにふるまうのか(ふるまえるのか)」というこの映画のテーマを表現する効果を付与していることは確かだろう。

明確な答えはない。だからおもしろい。

これまでさまざま引用しながら『アイズ・ワイド・シャット』において考えうる論点について述べてきたが、そもそもこの映画において「なにが正しいのか(真実なのか)?」明らかにする試み自体が野暮かもしれない。
前述の通り私はこの映画において大きく3つのシナリオを考えたが、人によってはもっと想像を膨らませて違う解釈を拡げることもできるだろう。

実際、あえて挙げなかった謎や論点は他にもたくさんある。

だいたい謎をあげつらったところで意味はない。明確な答えはそもそもないのだから
観客はただビルの「1夜の冒険」の不可思議さについて、自分が見せられたものを元にあれこれ考えを巡らせることしかできない。そしてそれこそがこの映画の最も大きな魅力だと思っている。多様な解釈ができるからこそ、観るものは考えざるをえなくなる。考えるという思考活動が、異様で美しい色とりどりの画の力と共に、この映画を観るものの心により深く留めることになるのだ。

あるいは夫婦でこの映画について議論することもあるだろう。この映画について正面切って話し合える夫婦関係は素敵だ。そのような夫婦なら、ビルとアリスが直面したような「夫婦関係の試練」も乗り越えることができるのではないか。
それにしても、原作の1920年代から映画公開の1999年、そして令和の現代においても、夫婦生活の問題というのはあまり変わらないのかもしれない…。そういった点でも、映画『アイズワイドシャット』を時代を越える魅力があると思う。

この映画の魅力まとめ

以上の通り、映画『アイズワイドシャット』は、パートナーシップにおける普遍的な問いを投げかけるテーマ性のある映画であり、それはキューブリックの魅力的で強烈な画作りやWaltzNo.2のような音楽や緊張感をあおるピアノの旋律、ビルとアリスを実生活で夫婦である(あった)トム・クルーズとニコール・キッドマンに配した妙、夢と現を曖昧にしている描写など多層的な要因が積み重なり、この映画をキューブリック最後の傑作にしているといっていいだろう。

映画における夫婦のワンシーン
↑冒頭パーティー参加前の夫婦の描写。このあたりの慣れ親しみすぎて異性としての緊張感がない感じが上手く表現できている。

主要な考察点まとめ

夫婦の会話から考えるメインテーマ

まず、この映画のメインテーマはほとんど「夫婦の会話」に集約されているとして主に以下2つの夫婦の会話を引用した。

  • パーティー後の2人の会話
  • ビルが「一夜の冒険」について告白した後の夫婦の会話

これらの会話から、妻アリスは夫婦生活における「他の異性への欲望」を直視しているのに対して(open)、夫ビルは欲望を見ないフリしている(shut)だけであるとアリスは見抜き、ビルの欲望を暴こうとしていることが分かる。

また、「ビルの冒険」後、繰り返しでてくる言葉「夢か真実か」は、

  • 「ビルの冒険が真実であるか夢であるか」というメタ的な解釈
  • 欲望に対して実際行動に起こしたビル(真実)と、空想や夢ですませていたアリス(夢)を対比し、欲望を起こすことはあり得ることで、それでもその痛みを引き受けながら夫婦生活を続けていく(「目覚めていたい」=open)というメッセージ

だと解釈した。
この映画のタイトル『Eyes Wide Shut』は、上記のような夫婦のありようを意味しているタイトルであることを結論づけた。

考えうるシナリオ

この映画はなにが真実で夢なのか判然としない作りになっているが、主に考えられるシナリオとして3つを述べた。

  • ビルは秘密のパーティーに行った。見てはいけないものを見てしまったため、本来ならばビルには死が待っていたが、女の犠牲によって助かった。ニックもビルを招き入れた罰として拉致され殺された。
  • ビルは秘密のパーティーにいった。だが、「女の犠牲や警告」も部外者に見たものを口外させないための狂言ーつまり偽りで、女の死もジーグラーが言うように偶然。ニックはその土地から追い出されたが妻子と無事でいる。
  • ビルは秘密のパーティーに行かなかった。ソナタ・カフェのシークエンス以降は娼婦のベッドで見た夢で、ビルは後から娼婦が「AIDS」だと知り自らの行動の結果、妻子にも危険が及んだことを突きつけられ、不貞したことを妻に白状する。

つまり、ビルが秘密のパーティーに「行った」「行かない」を分岐点として、一般的に述べられていない第3の説の可能性について述べた。

原作との相違点・相似点とその効果

第3の説の根拠として、

  • 映画の舞台が映画公開当時のアメリカ的に置き換わっていること
  • 登場人物の名前も現代アメリカ的に変更されていること

にもかかわらず原作と変わらない名前を冠されている「ニック・ナイチンゲール」の存在を挙げ、物語において「ナイチンゲール」の役割を付されていることを観客に明示している可能性について述べた。

そして、「ナイチンゲール」の役割について

  • 主人公を非現実的で神秘的な世界に導く存在
  • 「ナイチンゲール」が登場するシークエンスから以降は夜の幻ー「ビルがみた夢」ーである可能性をも示唆

していることを述べた。

また、秘密のパーティーへの「password」が原作と変更されている点について述べ、それが原作と映画でどのような違いとして表れ、どのような効果を与えているかを述べた。

原作:「デンマーク」
夫婦ふたりが他の異性に惹かれた地。より夢と現の堺を曖昧にしている
映画:「Fidelio」
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベンのオペラ『Fidelio』由来の可能性。
アリスへの「愛の試練」にビルがどのようにふるまうのか?という問い(挑戦

映画のもつ魅力の再確認

映画『アイズワイドシャット』の最大の魅力は、「何が真実で何が真実でないか」判然としない点であると先に述べた。
今回主なシナリオとして考えられることを述べてきたが、そのどれも「正しい答え」などないといっていい。「正しい答え」がこうである、と断定する要素を監督は残していないからだ。

だから、この今回の解説記事を読んで、改めて映画を観て、各々考え見てほしい。
今回の記事であえて語らなかった「なぜ秘密のパーティーで顔を隠しているはずのビルの正体が謎の女性にはバレているのか」「なぜネタバラシの後に妻の枕もとに失くしたはずの仮面が置いてあったのか」「妻が見た夢の解釈」など数々の謎について、自分なりに考える楽しみがある。

また、私が今回書いた内容について、実際映画を観て根拠をもって「これは違うんじゃないか」と感じることもあるだろう。
実際それでいい。この映画を「鑑賞する楽しみ」は、各々の解釈や想像の中にこそあるのだから。

この記事執筆当時(2024/07/14)、映画『アイズワイドシャット』字幕版はアマゾンプライムビデオで鑑賞することができる。
amazon prime会員なら追加料金を支払わず見ることができる。
この機会にキューブリックが挑んだ最期の謎ー観る人への挑戦ーに挑んでみるのはいかがだろう。
考える楽しみを知っている人は、きっと気に入ってくれる映画に違いない。

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