私が無口になったワケ

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これは、いち吃音者の私が実際に体験したエピソードです

私が無口になったワケ

まず前提として、私の経験に関する漫画の容姿やキャラクター、セリフは全てフィクションです。ただし、体験したエピソードは全て本当(リアル)です。
実際に起きたエピソードを、私の記憶に基づいて再構成しています。

そもそも吃音とは?

吃音(きつおん、: stuttering,stammering)とは、言葉が円滑に話せない、スムーズに言葉が出てこないこと。非流暢発話状態のひとつ

wikiより引用

たとえば、「おはよう」と話そうとすると、

「お、おはよう…」と音が繰り返されたり(連発)
「……おはよう」と意志に反して発話ができず無音になったり発話が遅れたり(難発)
「おーーはよう」と、最初の音を伸ばして発話してしまったり(伸発)

などの症状をいいます。

頭の中では文章が出来ているのに、自分の意に反して言葉がスムーズに出てこないので、本人は見た目以上にエネルギーを使います。
幼児期に吃音症状を経験する割合は、約5%であり、そのうちの約7~8割は、自然に治癒すると言われています。
しかし、成人しても吃音症状が残る場合があり、人口の「100人に1人」が吃音者とされています。吃音の発症率や有病率に国や言語で差はないそうです。
2025年現在でも吃音に関する研究は続いていますが、原因について完全に解明されておらず、また「こうすれば必ず治る」といった方法論も確立されていません。


国の研究拠点としては以下が挙げられるので、さらに詳しく知りたい方は参照なさってください。

機関所在主な活動備考
国立障害者リハビリテーションセンター研究所埼玉県所沢市2016年から複数施設と合同で日本の吃音疫学・脳機能を調査。小児吃音の長期追跡データを収集院内に「小児吃音外来」も併設し、検査-評価-訓練を一貫提供 (rehab.go.jp, rehab.go.jp)
国立精神・神経医療研究センター(NCNP)東京都小平市近赤外分光法(NIRS)など脳機能計測を用いた吃音研究を推進日本吃音・流暢性障害学会で脳研究の最前線を報告 (jssfd.org)

吃音という言葉さえ知らなかったこの頃

物心ついてきた幼稚園生の頃はもとより、私は高校生のある時期になるまで、「吃音」という言葉さえ知りませんでした。
「吃音」という言葉を知らなくても、症状はでます。この頃の私は、そういう「障害/疾患がある」という事実さえ知りません。それでも私は吃りました。つっかえました。流暢に喋れませんでした。
知らないから、もちろん「こういう症状があります、コントロールできません。配慮してください。」なんて言えません。発想もありません。親も教師も、助けてはくれませんでした。
だからわたしは、「私だけがこうなんだ」と、みんなが当たり前にできていることが出来ない私」として、自分をひどく劣った存在に感じていました。
この「ひどい劣等感」は、今も私を苦しめています。

自分という存在を決定づけてしまった「吃音」

自分という存在を棚卸しして他者に知ってもらう時、どうしても避けて通れないのがこの「吃音」です。
私の人格を決定づけてしまったのが、この「吃音」による経験だと自認しているからです。
自分の発話に問題がある、と自覚してから、その「問題のある」症状を人に見せないための行動を選択するようになっていきます。行動や経験は人格を作ります。

吃音を自覚する前の幼い私は、絵を描くことが好きで、よく喋り、ワガママで自己主張の激しい子供だったように思います。
しかし、長年の吃音の症状と、それに伴う周りの反応で、私の性格は「無口」に、「内向的に」すっかり変わってしまいました。もちろん吃音が原因の全てではないでしょう。しかしはっきりと、心の大部分を占めて、私の行動からなにからすっかり変えてしまったのが吃音だという意識があります。

ある意味吃音のおかげで、激しい性格から矯正されたのかもしれません。吃音がなかったらもっと高飛車で、他者に対して無理解で、性格が悪かった可能性もあります。

ここでの問題は、大人の理解がなかったこと

漫画でも描きましたが、親や先生は、「吃音」についてほとんど知らず、正しい対応を取れませんでした。
学校の先生は、自分の生徒に「吃音」がある可能性を考えず、それに対する知識も対応の仕方も知らず、それどころか「吃音症状」を「責める/叱る」立場でした。
前述の通り、私はこの症状が「吃音」なんだ、といった事実さえ知りませんから、吃音症状を叱責され、または他の子供同様に「先生」にも嘲笑されることで「他の子供が当たり前にしていることさえできない」と劣等感を募らせていきました。
私は当事者の経験から、こういった吃音症状を「自覚する以前/自覚し始めた頃」の対処の仕方、その子の一生を左右すると言っても過言ではないと思っています。

「吃音症状」に対する周りの反応は仕方のないことですが、私のように、「吃音」を「よくないもの/恥ずべきもの」として骨の髄まで染み込ませてしまってからでは遅いのです
まだ幼児期は治る見込みがあります。ここでの対処の仕方を間違えると、心の傷は一生残り、大人になっても苦しむかもしれません。

吃音の症状がただ出ている分には、まだいいでしょう。喋れますから。流暢でなくても、コミュニケーションは取れますから。
ただ、その吃音症状を発端に、周りの反応で吃音を「よくないもの/恥ずべきもの」として捉え、それがために自身の精神にも影響がでることが1番の問題なのです。

吃音理解の一助になれば

まず当事者以外はどうでもいい問題でしょうが、「吃音症に悩み、これから社会に出なければならない人」や、「その周囲の人」に向けて、私の自己紹介にかこつけて、吃音に関するマンガをシリーズで描いていきたいと思います。

吃音者の中には、「吃音」に悩みながらも、「吃音」が世間に認知されたくない人も一定数います。

一部の意見

「吃音」という障害が広く世間に認知されてしまったら、「ちょっと変な人」で済んでいたのに、周りに自分が吃音者と認識されてしまう。「かわいそう」という目で見られるのがイヤ。「障害者」扱いされたくない。

などという意見です。
まず、「障害者扱いされたくない」という驕った自意識も問題だとは思いますが、私自身としてはこういった意見は自分自身のことしか考えていないからこそ出る言葉なのではと思います。

吃音は法律や制度上で「言語障害の一種」であるとされていますが、そういった「非流暢性」の症状より、繰り返される周りの反応で作られた(自分自身で作り上げた)吃音に関するマイナスな認知こそが、吃音者が社会で生きていくうえでの障害になっているのではないかと考えます。
だから、そういった認知が作られる土壌となる環境も、世間に「吃音」が正しく知られることで少しずつ改善していけるのではないか、と考え私は隠すのではなく、発信する道を選びました。

私の世代では親も教師も吃音をないものにして「笑う/叱る」側でしたが、今は先人の方の啓蒙活動のおかげで、少しずつそういった環境も変わってきていると聞きます。これから吃音症状を抱えて厳しい社会で生きていかなければならない、後進の世代に向けて、私は吃音について自身の経験からくる反省も交えて発信していきたいです。

最後に

ここまで読んでいただきありがとうございました。

このページに書いてある文章/漫画はわたし、鈴木たぬき(Suzuki Tanuki)が作成したものですが、クレジット(著作者:鈴木たぬき+この記事のURL)さえ示せば、営利/非営利に関わらず、利用を許可します。
また、教育機関に限り、クレジット表記せず利用していただいてかまいません。
ただし、掲載漫画を改変することはNGですので、もし改変が必要な場合はご一報ください。

© 2025 鈴木たぬき
本記事および掲載マンガは
CC BY-ND 4.0 International(表示–改変禁止)で提供します。
https://creativecommons.org/licenses/by-nd/4.0/

すずたぬ 

引用・転載歓迎です!これからも吃音に関する私の経験について不定期に発信していくつもりですので、何卒よろしくお願いします

Creative Commons License
この記事および掲載マンガ © 2025 鈴木たぬき — 提供: CC BY-ND 4.0 (改変不可)
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